来 歴



まぶたの裏側の海


いつも風が吹いていた
白っぽい砂浜の向こうには
幅も奥行きも足りない
四角い空が吊るされていた
風に舞いあがった空が
わたしの海にべったりはりついて
それから先はもう盲だった
その空を剥がせばよかったのだ
びりびりと音をたてて
引き裂くだけでよかったのだ
だがわたしは息をつめたまま
みれんがましく見ていたのだ
どんな合図もなしに
まっ青な海が沖へ駆け去るのを

あれからわたしの海を見ない
海といったら
松原と岬のはなとだんまりの波
風呂屋の壁にはめ込まれたおきまりの海
オリーブ油を背中いっぱいに塗りつけた
焦げくさい国籍不明の海
風も吹かないのに
まぶたのはしの方が少しずつ
まくれ上がってくる
さあ急ぐのだ
急いでつかまえてしまうがいい
わたしの海が溢れ出る前に
まぶたを剥がしてしまうことだ

けれどもまぶたの裏側のどこにも
わたしの海を見ない
さざなみをちりばめた宝石箱よ
無限にくりかえす潮騒の
甘くてやさしい子守唄よ
きらめく愛のリフレインよ
変幻自在の万華鏡よ
また塩からい深淵よ
底なしの落とし穴よ
のど笛めがけて襲いかかる牙よ
ぎらぎら光りながら
貧しい裸をあばきにくる細身のメスよ
そして地球を遠巻きにする
青い自由へのパスポートよ

わたしの海は答えないのに
飛びたてない海鳥の
せわしい羽ばたきが聞こえてくる
必死の爪が苦しげに
臓腑の内壁を掻きむしるたびに
腐った潮がぐっと込み上げてきて
わたしのことばはのどにつかえてしまう
眠りこけている海の
目やににかすんでいるあたりから
充血してにごった波が寄せてくる
その汚いまぶたの裏側から漂い出て
更に狭くて暗い海峡を下降して行く
すると激しい潮鳴りを掻きわけて
別の一羽が飛び立とうとして苦しんでいる

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